コラム」カテゴリーアーカイブ

50 瀬戸内と日本海2つの海眺めて

下関駅―豊田湖―俵山温泉―青海島(大泊) サンデン交通

本州最西端下関市。山口県の瀬戸内側はどこも工業都市でにぎやかだが、下関駅前で見ると行きかう朝の路線バスの姿は特に活気づいている。
その中で日本海側へ山々を貫いて運行する青海島の大泊行き路線バスに乗車する。右手に関門海峡と対岸の九州を眺め唐戸バス停、そして御裳川では地元客に交じって乗っていた観光客が下車していった。
小月から北上して木屋川沿いに進む。ホタルの里の看板を目にするがここはゲンジボタルの発生地もいくつか沿線に存在する。神秘的な豊田湖を眺め俵山温泉で小休止。チェックアウトした宿泊客が乗ってきた。
もうひと山越えると長門市となる。萩からやってきた路線バスと合流して市街地を過ぎると日本海が出迎える。遊覧船乗り場は特ににぎやか。次の漁協市場を過ぎると萩便は終点となる。
こちらは青海島入りするため青海大橋を渡る。わたり終えると終点大泊となる。
大型のAT車がスイスイと峠越えをするが写真のように区間便中心に中型車も運用に入る。この絶景は2時間40分の長旅のラストとなる青海大橋。

49 昔、大阪キタは皆竹林だった

[40] 千里中央―豊島高校前―豊中 阪急バス

我が国初のニュータウン、千里ニュータウンも高度成長期に開催された万国博覧会場も千里丘陵の竹藪を切り開いて作られた。
ニュータウン玄関口・千里中央駅より、西へ行くと万博跡エキスポシティ経由吹田行きが週末に運行されている。東へ行くと豊中行きが頻繁に運行されている。
千里中央から豊中行きに乗ると、マンションや住宅が並ぶが、その合間に丘の上を見ると竹林が至る所で見られる。終点豊中は駅より西へ歩くと古き住宅地が並ぶが、再び別の路線で東へ向かうと新興住宅背後に緑輝く竹林が望める。
名残ある竹藪も開発の波はどんどん押し寄せ、マンションに代わっていく姿が見受けられる。

参考情報
豊島高校(豊中市)
41 千里中央―豊島高校前―北緑丘団地―豊中―曽根―旭ケ丘―桃山台駅前(終日1H1本)
43 千里中央―豊島高校前―北緑丘団地―豊中―上野小学校―桃山台駅前―津雲台七丁目(昼のみ1H1本)
44 千里中央―豊島高校前―北緑丘団地―豊中―旭ケ丘―桃山台駅前―津雲台七丁目(昼のみ1H1本)
40 千里中央―豊島高校前―北緑丘団地―豊中(便数頻繁)(40A団地止まり)
46 千里中央―豊島高校前(団地入らず)豊中止まり(朝のみ)

エキスポランド(吹田市)
72 千里中央―記念公園西口―千里中央
113 千里中央―万博記念公園駅―日本庭園前―茨木駅(千里茨木線)

48 日本でも石油採掘が

秋田駅―外旭川団地 秋田市交通局

日本の石油は99パーセントが輸入に携わっている。かなり以前より聞いていたことだが、その1パーセントとはどこだろう、秋田県と新潟県らしい。生きているうちに一度はこの目で見てもいいだろう。特に秋田県は秋田市郊外と聞き足を運んだ。
秋田駅に降り立ちどこで誰に聞こうか、観光協会で聞くのか、商店の店主に聞こうか、やはり市営バス係員に聞いた。いまでも掘っているはずだ、八橋(やばせ)球場方面で、外旭川団地線に乗っていくといいと聞かれ早速市民とともに乗車。終点近くになり車内は空いてきて一人になったときに運転士さんに「石油掘っているところで降りたい」と聞いても何も答えてくれず、自分で車窓を注意してその姿を見つけておもわずボタンを押し降車した。
当時の秋田市営バスは衰退し、今では秋田中央交通が運行し数少なくなったが変わらず採掘はしている。灯油販売の声を聞いたら、このこと思い出して暖かい部屋で夕食を取ろう。

47 冬の北国、亜鉛色の海

函館バスセンター―函館駅―江差ターミナル 函館バス

バスセンター発車し車線多い市内中心部通り朝市にぎやかな駅前を経由。
国道227号線を北上。北海道新幹線起終点の函館北斗駅手前を左折し西へと中山峠越挑み下り坂となれば荒海が出迎える。
北国の海は風強く波荒く特に冬になるとこれがまた一段と厳しく感じる。
対岸は奥尻島、ここ江刺が玄関口となりフェリーも着岸する。これが追分ソーランライン、海の色は亜鉛色に、降る雪は風に飛ばされる。バス下りると歩くのも大変。だがバスの中や建物の中は北の人情とともにとても暖かい。夕食に地元でとれた海産物を味わった。厳しい海の厳しい中で育った魚介。これを味わえたのはここで生活している漁師の方々、これを料理してくれる人たちがいるからだ。まもなくこの海くぐって本州から新幹線が貫通する。このバス旅も一段と身近になるだろう。

46 十字架に祈りを込めて

天主堂前バス停前 長崎県交通局

日曜朝は教会へ行く習慣があると、旅先でも教会を探してしまう。犬も歩けば教会に当たる。九州のまして海に近い街なら当然のことだろう。長崎市内散策中、浦上天主堂が目に入った。異国でのミサもたまには良いだろう。
ここ天主堂前に定期観光や県外からの観光バスが次々と通る。長崎市内は急坂多いのが幸いして大型路線バスがどこも数多く運行されている。狭隘路も多くリエッセだけは数少ないが例外でも、中型市内線車両はほとんど見かけない。
写真は県営の観光バス。やってくるバスは頻繁で多くシャッターチャンスは数知れないが、冬は夕方の短時間に順光になるだけで光線条件は厳しい。
教会は信者でなくても誰が訪れてもいいことになっているので、ミサにも制限はない。せっかく訪れたなら積極的に参加してみるのも悪くない。服装も自由だが、あくまでも観光施設ではないのでマナーを守ることを忘れないように。聖堂内の写真撮影、飲食、喫煙、大声出すことなどを避ければよいので簡単なこと。
12月だけ、それもイブの夜だけクリスチャンになる人も多いが、365日いつも変わらぬ気持ちでいれば、また明日から気持ちも新たになるかもしれない。

45 柿が赤くなると

鳥取駅―竹市―徳丸―若桜車庫 日本交通(株)

鳥取県、県庁所在地鳥取。秋になると梨、特に二十世紀の収穫は有名。
晩秋になると柿色にも染まる地区も。
鳥取駅から若桜車庫行に乗車。国道29号線若桜街道を南東に走る。しばらくすると家並も少なくなり田園風景が広がる。稲が刈り取られ木々は色づき、枯葉色に染まった田畑は、赤く染まった柿の木が目にとまる。付近は西条柿と呼ばれるが渋柿で、各農家の軒下にもつるされている。
昔は柿泥棒して喜んでいる子供がよくいた。柿を見ると連鎖反応で手を出すが、渋柿とは知らずに手を出してしまうとスリルを味わうだけの楽しみで終わってしまう。渋柿には手を出さないように注意したいが、今ではそんなことをする子供はもういないだろう。
写真ではわかりづらいが、やってきたバスはまだ新しい中型バスだった。地方都市の中でも日本交通は大型の新車が主流で運行されていたが近年、新車導入は変わらなくても車両は一回り小さくなったのが残念。利用者減でも運行回数減とならないよう、この風景がこの車窓がいつまでも見られるように願ってならない。

44 落花生の故郷を訪ねて ~落花生畑を行く

八街駅―精米所―八街駅 ちばフラワーバス

朝の東京駅前。通勤ラッシュで混雑する路線バス。到着する通勤高速バスにもサラリーマンが降りてくる。その折り返し便の反対方向の空いている便に乗る。千葉県の八街(やちまた)行は首都高速湾岸線から京葉道路を経て高速降り千葉市の住宅地を経由して八街駅にたどり着く。
駅前広場には、落花生のモニュメントが。八街市は、スイカ、メロンなどの果物の生産が盛んで新鮮なフルーツが味わえる。そして何といっても落花生生産で名高い。
循環バスに乗車、旧市街地で道幅は狭いがシャターは開いている商店街を行く。ピーナッツ専門店が並んでいるのもここならではの風景なのか。
落花生のままで、それからカラをとったなんきんまめ、そしてそのかわをとったピーナッツそのほか加工したまんじゅうやせんべい等の菓子も売られている。
交通量多く旧市街地でありノロノロとしか走れない。しかし、このように商店のウインドウを手にとって眺めていられる。
やがて郊外地へ出ると畑が点在し晩秋には、落花生畑は収穫が終わり乾燥させるためにボッチが広がる。とれたてでは、全く実は固まっていないが約半月乾燥させると固くなる。水田のワラボッチと違って、雨除けで青いシートがかぶさっているのが特徴。

43 レトロな観光バス

銀河鉄道株式会社

レトロなバスには静かな田園地帯を走る姿がよく似合う。
東京都西部で貸切バス、路線バスを運行する銀河鉄道にレトロな観光バス、日野K-RC701Pが在籍している。
元草軽観光バスで当時の塗装をしていたが、今では国際観光の塗装に変更されている。ハンドルを握る乗務員は元々同社に在籍したことがあり、同型車両の使用経験ある運転士が担当することが多い。
撮影場所は、筑波山の麓、茨城県郊外。この日はテレビ撮影に東京からやってきたが、貸切バスなので誰もが貸し切っての運行が可能。観光地に駐車すれば、他社の乗務員などが懐かしそうに眺めに来て、大切に保有していることに皆、頭を下げている。ただし年式に対して非冷房車であることは、高原を走行していたので冷房は搭載されていなかったのだろう。暑いことは間違いないが、初夏のレジャー、夏真っ盛りでも緑多き避暑地へのお出かけには、窓いっぱいにあけて涼風あびて、一昔前のバス旅を堪能できる。
ほかにも観光地でなく毎日利用する生活路線にもレトロな車両が導入できないだろうか。可能なら駅前で毎日見ることができる。

42 南の国、石垣島

東回り一周線(ターミナルー川平ーヨーン-ターミナル) 東運輸株式会社

近年温暖な人情と気候で南の国が静かなブームとなっている。特に団塊の世代からは永住の地として都市の人口集中型に相反して沖縄県は離島中心に人口増加ともなっている。
石垣島の中心地、桟橋目の前にあるターミナルより、中心地から郊外へ。そして、スーパーやどこへ行っても知られているファーストフード、ファミリーレストランが昼食時間帯かマイカーの列が絶えない。石垣島も。離島ではなくなった。やがて空港に着きその後やっと青空の下、緑の草原を駆け抜けて快走するする。どこまでも続くグリーンロード。
右に太平洋、左は山々が続く。宮古島に比べて面積は広いが人口が少ないのは平地が少なく山が多いからで、桟橋から空港の間に民家も集中している。そのため町中心地は車と人でいっぱいだった。でもそこを抜ければその左右には牧草地帯を北上。長く続いたこの風景から今度は西へ。川平湾にたどり着く。今度は南下してジャングルを抜け右に東シナ海眺めて出発地のターミナルへ。島内で運行されている路線の中、一周線に乗車すればその名の通りバスで石垣島を一周できる。