

前日にセントレアから桃園空港経由で空港バスで台中泊、翌朝、台中のBTからまずは台湾のへそ、埔里に向かう高速バスに乗車して惨劇の舞台に足を踏み入れて行きます。
更に埔里のBTで霧社方面行の路線バスに乗り換え、山道を揺られること1時間で霧社に到着しました。霧社は現在でもお茶の産地で、日本統治時代はお金になったことから多くの日本人が住んでいたと思われます。あんな惨劇が起きたとは思えぬほど静かな霧社(現在は仁愛郷大同村)の町でした。
注)「霧社(むしゃ)事件」とは1930年、日本統治下の台湾で起こった大規模な武装蜂起事件です。